下巻 第七段 本廟創立
聖運寺蔵『親鸞聖人御絵伝』
〈 御伝鈔 意訳 〉『親鸞聖人伝絵-御伝鈔に学ぶ-』東本願寺出版部より
文永(ぶんえい)九年(一二七二)冬のころ、東山、西のふもと、鳥部野の北、大谷の墓地を、同じ ふもと の 西、吉水の北 の ほとり に 移し、お堂を建てて、ありし日の親鸞さま の お姿を 安置いたしました。
このときから 親鸞さま の 念仏の教え の ともしび は いよいよ 輝きを増し、その教え を 喜ぶ人 は 日を追って多くなり、その にぎやかさ は、ご生前の昔を しのぐほど に なりました。その 心の ともしび は、やがて 各地に ともされ、親鸞さま の 志を 継ぐ人々は 全国に 深い根をおろし、その教えを 受ける者は 数限りない ありさま と なりました。そして その教えを 受けた喜び から、出家、在家、老若男女を問わず、親鸞さま の ご本廟(ほんびょう) に 参拝し、阿弥陀の親心 の こめられた南無阿弥陀仏の み名 と 共に 力強い歩み を 続けているのです。親鸞さま の ご一生 には、まだ さまざまな 言い伝え が 残っていますが、ここでは 省略します。
〈 御伝鈔 原文 〉
文永(ぶんねい)九(く)年冬の比(ころ) ● 東山(ひがしやま)西(にし)の麓(ふもと)、鳥部(とりべ)野(の)の北(きた) ● 大谷の墳墓(ふんぼ)をあらためて ● 同(おなじき)麓(ふもと)より猶(なお)西(にし)、吉(よし)水(みず)の北(きた)の辺(ほとり)に ● 遺骨(いこッ)を(ト)堀渡(ほりわた)して● 仏閣(ぶっかく)をたて、影像(えいぞう)を安(あん)ず ● 此(こ)の時(とき)に当(あたッ)て ● 聖人相伝(そうでん)の宗義(しゅうぎ)、いよいよ興(こう)じ ● 遺訓(ゆいくん)ますます盛(さかん)なること ● 頗(すこぶ)る在世(ざいせ)の昔(むかし)に超(こ)えたり ● すべて門葉(もんにょう) 国郡(こくぐん)に充満(じゅうまん)し ● 末(まッ)流(りゅう) 処(しょ)々(しょ)に遍布(へんぷ)して ● 幾(いく)千万(せんまん)ということをしらず ● 其(そ)の稟(ほん)教(きょう)を重(おも)くして ● 彼(か)の、報謝(ほうしゃ)を抽(ぬきんず)ずる輩(ともがら) ● 緇素(しそ)老少(ろうしょう) ● 面々(めんめん)あゆみを運(はこん)で ● 年々(ねんねん)廟堂(びょうとう)に詣(けい)す
《 上ゲテ 三拍休む》
● 凡(おおよ)そ ● 聖人、在生(ざいしょう)の間(あいだ) ● 奇特(きどく) これ おおし と いえども ● 羅縷(らる)に遑(いとま)あらず ● しかしながら ● これを(↑)、略(りゃく↑)す(↑)る(↑)ところなり ●