下巻 第一段 師弟(してい)配流(はいる)
聖運寺蔵『親鸞聖人御絵伝』
〈 御伝鈔 意訳 〉『親鸞聖人伝絵-御伝鈔に学ぶ-』東本願寺出版部より
法然さまが、いつでも、どこでも、だれでも 歩める、浄土の門を開かれたことによって、聖者(せいじゃ)のための難しい、狭き門となってしまった聖道(しょうどう)の仏教は、根本から 反省 しなければならない時点に 立たされていたのです。
ところが、奈良や比叡山の聖道(しょうどう)仏教の学者たちは、
「浄土の教え など 正統の仏教ではない。そんな 教えを 説いて 人心(じんしん)を惑わす法然を、ただちに処罰すべきである」
と、怒り狂(くる)うのでした。
親鸞さま の『教行信証』化身(けしん)土巻(どのまき)には、次のように記されています。
「静かに 考えてみると、伝統的な仏教である聖道(しょうどう)の諸教(しょきょう)は、いつのまにか、その 生き生きとした生命 を 見失い、難しい 理屈の学問に変身し、もはや、苦しみ 悩む人々 を 救うような はたらき は なくなりました。だれが 考えても、今では 浄土の真宗 こそ、一般大衆がよみがえっていく唯一の道に ちがい ありません。
ところが、諸寺の学僧たち は、もはや 形式だけ 残っている伝統の仏教に しがみついて、ほんとうに この世を救う教え に 背を向けて、真実の自己を見る眼(まなこ)を持たず、狭い 時代遅れの考え に いつまでも閉じこもっているのです。都(みやこ)の儒学者(じゅがくしゃ)たち も、人々に 道徳を教える立場に ありながら、何が正しいことで、何が まちがているのか を 明確にせず、時の権力者に こび へつらう だけ に なって しまいました。
そのために、興福寺の学僧たちは、土御門(つちみかど)天皇の承(じょう)元(げん)元年(一二〇七)二月のころ、朝廷に 浄土教徒を 弾圧するように 申し入れたのです。
上(かみ)は 天皇から、下(しも)は 家臣に いたるまで、真実の法 を 聞く耳 を 失い、正しい道 を 見分ける眼(まなこ) を 閉ざして、怒り、ねたむのでした。それによって、その時 すでに 形骸化(けいがいか)していた仏教を批判し、真実を訴えていた 法然さま、ならびに その門弟たち 数名は、無法(むほう)にも 死罪になったり、あるいは 僧の身分を奪われて、遠方へ追放されたのです。私、親鸞も その一人だったのです。
だから もう 私は、僧 という 肩書 や 権威など 何もないし、そうか と いって、目さきの楽しみ を 追う生活に 満足している俗人である とも いえないので、頭だけ そった 変な俗人だ という意味の、禿(とく)の字を 私の名 に したのです。法然さま と、その 弟子たち は、あちら こちらに 追放されて、五年の月日が 流れました」。
法然さま、罪人としての名、藤井元彦(もとひこ)、配所(はいしょ)は土佐国。
親鸞さま、罪人としての名、藤井善信(よしざね)、配所(はいしょ)は越後国。
このほか お弟子 で 死罪、流罪になった者 は 多いけれども、ここでは略します。
さて、順(じゅん)徳(とく)天皇の建歴(けんりゃく)元年(一二一一)十一月十七日、岡崎 中納言 範光(のりみつ)卿(きょう)を通じて、罪が許されました。そのとき 親鸞さま は、すでに 述べたように禿の字で 署名(しょめい)した報告書を出されたので、天皇も 深く 感銘を受けられ、侍(じ)臣(しん)たち も 心から ほめたたえた と 伝えられています。
罪は 許されたのですが、親鸞さま は、各地に 念仏の教え を 伝えようと、しばらく 越後の国に とどまること に なりました。
〈 御伝鈔 原文 〉
本願寺の聖人 ● 伝絵(ね)の下(げ)
浄土宗興行(こうぎょう)により(ッ)て ● 聖道門(しょうどうもん) 廃退(はいたい)す ● 是(これ)、空師(くうし)の所為(しょい)なりとて ● 忽(たちまち)に、罪科(ざいか)せらるべきよし ● 南(なん)北(ぼく)の碩(せき)才(さい)憤(いきどう)り申(もう)しけり ●『顕(けん)化身(けしん)土(ど)文類(もんるい)』の六(ろく)に云(のたま)わく ● 竊(ひそか)に以(おもん)みれば ● 聖道(しょうどう)の諸教(しょきょう)は、行(ぎょう)、証(しょう)、久(ひさ)しく廃(すた)れ ● 浄土の真宗は、証(しょう)道(どう) 今(いま)盛(さかん)なり ● 然(しか)るに、諸(しょ)寺(じ)の釈(しゃく)門(もん)、教(きょう)に昏(くら)くして ● 真(しん)仮(け)の門戸(もんこ)を知らず ● 洛(らく)都(と)の儒(じゅ)林(りん)、行(ぎょう)に迷(まどッ)て ● 邪(じゃ)正(しょう)の道路(どうろ)を弁(わきもう)ること無(な)し● 斯(ここ)を以(もっ)て ● 興福寺(こうふくじ)の学徒(がくと) ● 太上(だじょう)天皇 ●(諱(いみな)尊(たか)成(なり)、後(ご)鳥羽(とば)の院(いん)と号(こう)す)● 今上(きんじょう) ●(諱(いみな)為(ため)仁(ひと)、土御門(つちみかど)の院(いん)と号(こう)す)● 聖暦(せいれき)承元(じょうげん)丁(ひのと)の卯(う)の歳(とし) ● 仲春(ちゅうしゅん)上旬(じょうじゅん)の候(こう)に奏(そう)達(たっ)す ● 主(しゅ)上(しょう)臣(しん)下(か)、法(ほう)に背(そむ)き 義(ぎ)に違(い)し ● 忿(いかり)を成(な)し 怨(あた)を結(むす)ぶ ● 茲(これ)に因(よっ)て ● 真宗興隆(こうりゅう)の太祖(たいそ)、源空(げんくう)法師(ほッし) ● 并(なら)びに、門徒数(もんとす)輩(はい)、罪科(ざいか)を考(かんが)えず ● 猥(みだりがわ)しく死罪(しざい)に坐(つみ)す ● 或(あるい)は僧(そう)の儀(ぎ)を改(あらた)め ● 姓名(しょうみょう)を賜(たまッ)て遠流(おんる)に処(しょ)す ● 予(よ)は其(その)一也(ひとつなり) ● 爾者(しかれば)已(すで)に ● 僧(そう)に非(あら)ず俗(ぞく)に非(あら)ず ● 是(これ)故(ゆえ)に、禿(とく)の字(じ)を以(もっ)て姓(しょう)と為(す) ● 空(くう)師(し) 并(なら)びに 弟子(でし)等(とう) ●諸(しょ)方(ほう)の辺(へん)州(しゅう)に坐(つみ)して五(ご)年(ねん)の居(き)緒(しょ)を経(へ)たりと云々(うんぬん) ● 空(くう)聖人 ● 罪名(ざいみょう) 藤井の元彦(もとひこ) ● 配所(はいしょ) 土佐(とさ)の国 幡多(はた) ● 鸞(らん)聖人 ● 罪名(ざいみょう) 藤井の善信(よしざね) ● 配所(はいしょ) 越後の国 国府(こくぶ) ● 此外(このほか)の門徒 ● 死罪(しざい) 流罪(るざい) みな之(これ)を略(りゃく)す ● 皇帝(こうてい) ●(諱(いみな)守成(もりなり)、佐渡(さど)の院(いん)と号(こう)す)● 聖代(せいたい)建暦(けんりゃく)辛(かのと)の未(ひつじ)の歳(とし) ● 子月(しげッ)第七(しち)日 ● 岡崎(おかさき)の中納言(ちゅうなごん)、範光(のりみつ)の卿(きょう)をもって ● 勅免(ちょくめん) ● 此(この)時(とき)、聖人 ● 右のごとく ● 禿(とく)の字(じ)を書(か)きて奏聞(そうもん)し給(たも)うに ● 陛下(へいか)、叡感(えいかん)をくだし ● 侍臣(ししん)おおきに褒美(ほうび)す ● 勅免(ちょくめん)ありといえども ● かしこに化(け)を施(ほどこ)さんために ● なおしばらく、在国(ざいこく↑)、し給(たま)いけり ●